私のところでもヴァイオリンのレッスンを行っているというのは、このサイトを色々と散策(??)された方なら、おわかりだと思うが、ここ何年、、、特に1、2年の間か、私自身、不思議に思っている事がある。
それは、特に、余所で習っておられた方が、私の所へ移って来られたときに、顕著に感じる。
たとえば、今年初めに私の所へ電話を頂き、レッスンに来られるようになったSさん。
彼女は、昨年、数ヶ月、少なくとも半年以上は、某音楽教室でプライベートレッスンを受けていたという。
レッスンの度に、少しずつ以前の状態を聞くと、なんと、先生とレッスンをする以外に、話しをする等ということはあり得なかったらしい。
レッスンの回を重ねる事に、Sさんは、嬉しそうに話しをする。
レッスンのはじめに、『今度、友達と××のコンサートに行くんです。(^-^)』とか、、、。
勿論、それに対して、私も、『色々と聴けるといいね。』とか『××さんのコンサートはとても楽しいらしいよ!』とか。。。
別に他愛もない話しだけれど、彼女の中では、ヴァイオリンの練習を一生懸命やろう!というのとリンクしていて、テンションが上がるのだ。
他に、レッスンに関連した事柄でも色々と聞きたいことも、どうやら、直接、その先生には聞き辛いとか。。。
私がレッスン開始時に、(近頃特に!)必ず、生徒さんたちに言うことがある。
それは、『どのような些細な事でも、疑問に思うこと、分からないことは、何でも聞いてください。』と言うこと。
そうでないと、疑問を残したまま、練習をしてきてもらう等とはあり得ないからだ。
習いに来られたご本人が、少なくとも『そうか!!』とか『そうすればいいんだ!』とか、実際、その時に出来なくても、何をどうすれば良いのかを(アタマで)理解できれば、なんとか練習も出来る。
(勿論、練習の仕方はあるが。。。)
自分にとって必要な事なのに、疑問を残したまま、練習するとか、次へ進むなどとは、本当にあり得ない。
と私は思うのだが。。。
でも、何故、『先生』に聞けないのだろう。
少なくとも、ヴァイオリンを習いたいと思って、(たとえ既成の音楽教室だろうと。)門をたたき、お月謝なりレッスン料を払い(高い安いはあるだろうが。。。)、30分なり60分なりをその先生と、がっぷり四つに組んで向き合うモノのはず。
勿論、中には時間的な制約もあるだろうし、人間同士の事なので、聞き方もあるだろうが、その疑問に対してなんとか答えを導く役割をするのが、いわゆる『先生』なのではないか。
『先生』は何でも知っているとか、生徒より偉い(?!)とか、そういう次元の話しではなくて、こと音楽やヴァイオリンの事については、人より専門的に(専門的に勉強してきているはずだし、大抵は音楽大学も出ているはず。)知っているので、それらについては、習いに来る人達のセンサーになってあげ、ナビゲーターになる。
(でも、ヴァイオリンの事だけしか知らないのは本当のイミで音楽家では無いですね。(^^ゞ)
そして、個々に違う問題に出くわした時には、処方箋を出し、どう自分の体を使えば良いかとか、どう練習すれば良いのか、をナビゲートしてあげる。
『先生』だって、いつでも知っている事ばかりとは限らない。
そういうときは、一緒に考える。(笑)
レッスンというのは、教わる側の『弾けるようになりたい!』と言う気持ちと、教える側の『弾けるようにしてあげたい!』という気持ちが融合され、お互い信頼しあい、がっぷり四つに組んで一緒に作り上げていく、いわば知的な共同作業だと思う。
確かに教える側の資質の問題、生徒への認識の甘さなど、色々と問題もあるかもしれないが、『先生』を選ぶのは教えを請いたいと思っている貴方で、『先生』を育てるのも貴方かもしれない。
特別な場合をのぞき、『先生』が生徒を選ぶのではない。
貴方が『先生』を選ぶのだ。